8月にお盆休みを少し早めにとって、お盆過ぎまでオーストラリアに行くことにした。シドニーには以前住んでいたことがあるし、娘が住んでいるので、ひとり旅というよりも娘に会いに再訪すると言ったほうが正しいかもしれないが。
今回はシドニー郊外の北西部に位置するWest Pennant Hillsにある個人宅に滞在することになった。滞在費は無料でいいと言われた。何故こんなにラッキーなことが起きたかというと、娘は知り合いの家族のそのまた知り合いに頼まれて、定期的にそのお宅で泊まり込みのペットシッターをしているのだが、次回は8月に1か月間シッターをすることになり、私もそれに便乗するということになったのである。シッター先のカップルは私が娘と一緒に宿泊するのを快く受け入れてくれたそうだ。娘曰く、彼らはとてもおおらかで心が広く、友達呼んで一緒に泊ってもいいからね~と毎回一言添えてくれるのだそうだ。娘に対して100%以上の信頼をしているのがこの言葉でわかる。
そのカップルは心も広いが、ご自宅も相当広く、5ベッドルーム(二人住んでいるだけなのに何故5つも寝室がいるのだ?と庶民の私は思うのだが、お金持ちはそんなこと考えもしないのである)で3バスルーム。バックヤードにはプール、ファミリールーム(リビングルームとは異なる広間のような部屋)にはビリヤードをするプールテーブルもある。そんな広いお屋敷に一人で泊まり込んでペットシッターをしている娘である。私ならそんな広い家にひとりだと、夜になったら怖くてちょっとビビっちゃうかも。
彼らは旅行にもしょっちゅう出かけていて、8月もアジアのどこかにゆったりと1か月滞在するらしい。オーストラリアの8月は冬なので、避寒のために暖かいアジアに行くというわけだ(シドニー近郊の冬は、日本に比べるとかなり暖かいのだが…)。ちなみに私は、くそ暑い日本の夏から逃れるため、冬のオーストラリアに避暑に行くのである。
彼らのペットは雄のグレイハウンド2匹である。そのうちの一匹はドックレースのリタイア犬。もう一匹は事故で足を一本失ってしまったレスキュー犬。2匹ともいわゆる保護犬だ。
グレイハウンドは運動量がかなりいると思われているらしいが、実際はそんなことはなく、うちでずっと寝ていられる犬種らしい。ペットシッターをする2匹は高齢で、足も悪いということで散歩に出かける必要がなく、広いバックヤードに放し飼いをしておけば自分たちの気分で歩いてみたり、ちょっと鳥が飛んできたときに追っかけてみたりするので、彼らのペースに任せて放置状態でいいらしい。
娘がシッターで泊まり込みをするときは2台ある大きな冷蔵庫(2人しか暮らしていないのに、なぜ2台も大きな冷蔵庫がいるのだ?…私の心の独り言である)とパントリーにはいつも満タンの食べ物が準備されていている。それで日給も払ってくれるのだから、なんと懐の深いカップルなのであろう。
日本では住み込みでペットシッターを募集する人はまずいないし、そういった募集を見たことがない。自分が留守中に他人を自宅に滞在させるのはかなりハードルが高いのではないだろうか。オーストラリアでは泊まり込みベビーシッターだったりペットシッターだったり、結構そういった募集があるらしい。娘は今の雇い主の他にFaceTimeでベビーシッターや他のペットシッターの募集を見つけたりもしている。
オーストラリア人は寛容な人が多いイメージだが、なぜだろうと考えてみた。
まず、移民国家としての多様性である。オーストラリアは多民族国家で、さまざまなバックグラウンドを持つ人たちが共存している。そのため「違い」に対して寛容で柔軟で、初対面の人にもフレンドリーな人が多い。そしてビーチや自然がすぐそばにある生活環境が、穏やかな人柄を育てているとも言われている。日常が“ゆったり”しているので、人に対しても寛容なのではなかろうか。そして、泊まり込みのベビーシッターやペットシッター(いわゆる「ハウスシッター」)は、オーストラリアではかなり一般的で信頼をベースにした関係性が前提で、「助け合い精神」や「お互いさまの文化」が根強くある。
日本では「家は家族だけの聖域」という考えが根強く、特に泊まり込みで人を家に入れるとなるとかなり慎重になる。でも、オーストラリアでは「信頼しているならOK」「人を助けるって良いこと」と考える人が多く、責任感とやさしさのある若者を歓迎する文化が育っているのである。
加えて、私が思ったのはオーストラリア人は形式にこだわらない人が多い気がする。彼らは形式を作るとその枠の中に納まらなければならないので、自分らしくいられないのではないだろうか。半面、日本人はルールに則るのがとても上手である。形式のなかできちんと生きていけるのである。なので、新幹線は1秒も遅れないし、空気もキチンと読める人が多い。これは日本人の他人を重んじる、人に迷惑を掛けてはいけないという、思いやりの気持ちから来ているのであると思う。
オーストラリアと日本。文化は異なるのだが、良い部分はどれも納得できることばかりなのである。
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